結論から書くと面白かった。
舞台は南アフリカのヨハネスブルグ
巨大な宇宙船が現れそのまま飛び立てなくなる。
人間は宇宙船の下に第9地区という隔離地域をつくり
宇宙船に乗っていたエイリアンを難民として居住させ、管理することにした。
そして、20年以上が過ぎた。
前半はこの世界の有り様がドキュメンタリータッチで描かれる。
エイリアンの姿はグロテスクでエビに似ている為、人間たちからはエビと呼ばれている。
エイリアンの住む第9地区の環境は劣悪でスラム状態。
彼らに人権はなく、管理、差別され、虐げられている。
エイリアンが抵抗しようものなら、容赦なく撃ち殺す。
人間側は徹底的に悪として描かれる。
舞台が南アフリカのヨハネスブルグでこの設定ということで方々で言われているが
明らかにアパルトヘイトを意識してつくられている。
ただ、最後まで見て思ったのはこの作品は単にアパルトヘイトというだけでなく
もっと人間の根源的なものに関して問うているという気がした。
主人公のヴィカスはエイリアンを管理する機関の職員であり
エイリアンを第9地区から第10地区という強制収容所に移住させるプロジェクトの責任者。
もちろんヴィカスもエイリアンを差別し、忌み嫌っており、小屋の中のエイリアンの卵を
笑いながら焼き払う。スゲー嫌なやつだ。
ある事故から主人公のヴィカスは自身の体が徐々にエイリアン化していく症状におそわれる。
そして、今度は自分が人間側から狙われる立場に。
後半の展開は戦闘アクションに装いをかえる。
前半は、抵抗するエイリアンや、実験体のエイリアンがグロテスクに殺されるのだが
後半は、狙ってくる人間達をヴィカス達が容赦なく撃ち殺す。
このあたりも何気に皮肉な演出だ。
ヴィカスは後半1組のエイリアンの父子に助けてもらい共闘することに。
そんな状況でも、ヴィカスはまるで自分のことしか考えていない。
あきらかにエイリアンの方が誠実で、比べて利己的なヴィカス。
しかし、それがまた人間っぽくてリアルだ。
ほとんどの人はこういう極限状態では結局、自分のことしか考えられないんではないだろうか。
ただ、本当に最後の最後、ヴィカスはエイリアン父子を見捨てて一度は逃げるものの
引き返してきて、命を懸けてエイリアン父子を救おうと戦う。
この主人公ヴィカスこそ人間そのものということなんだろう。
エイリアンを差別し、虐げ笑いながらエイリアンの卵を焼き払う。
エイリアン側の立場になり、エイリアンに助けてもらってもなお
自分が助かることしか考えていない人間。
しかし、最後の最後で自分の為ではなく、助けてくれたエイリアンの為に行動する。
この作品、人間は本当に愚かで残虐で救いようがなく描かれている。
でも、本当にそうなんだろうか。人間の本性は悪なんだろうか。
愚かかもしれないが、それでも人間は捨てたモンじゃないという
そういう救いが、彼の最後の行動に込められているような気がした。
結末は、結局エイリアンと人間がわかりあうことはない。
有耶無耶な終局となる。だが、それもまた、この映画らしい終わり方だなと。
あと、この作品の設定をみて2000年にひっそり放映してた
アニメ「ニア アンダーセブン」を思い出した。
巨大な宇宙船が出現し、飛びたてなくなって20年以上が経ち
宇宙人達が難民になってるという設定はある意味そのままだ。
違っているのは「ニア アンダーセブン」の宇宙人は容姿がほぼ人間と一緒で
社会的地位は低くスラムのような集落に住んでいたり、
多少の差別も受けてはいるが、「第9地区」のエイリアンほど虐げられてはおらず
人間社会にかなり溶け込んでいて共存しているという点。
そして、「ニア アンダーセブン」では難民、差別というテーマは匂わしているものの
あくまで主軸は「地球人と宇宙人の2人の少女の、変わらないようで少しずつ変わっていく
日常の積み重ね」という点だろう。
というか、このニア アンダーセブンが「第9地区」の問いかけにおける
もう一つの答えのような気もする。
ノリとか雰囲気とか結構好きな作品である。